TL;DR
- 文字単価0.5〜1円という単価でクラウドソーシング執筆者に発注した記事群が、Googleの検索結果で医療情報のトップを占有していた
- 誤った医療情報が患者に届くという社会的危害が明確であったにもかかわらず、品質チェックの仕組みが存在しなかった
- 「PV最大化」という単一の成長指標が、コンテンツの品質・正確性・倫理性を評価する視点を組織から消去した
- バズフィード記者による外部からの批判が内部告発機能を代替したことは、組織のリスク感知能力の機能不全を示す
企業概要と全盛期
DeNAは1999年に南場智子が創業し、モバイルゲームプラットフォーム「Mobage」で急成長した企業だ。2011年には米国でNGMoco買収、任天堂との業務提携、NPB横浜DeNAベイスターズ取得と、テックカンパニーとしての地位を確立した。南場はハーバードMBAを持つ戦略家であり、DeNAは「本物の経営を知る会社」として知られていた。
しかし2013年頃からDeNAはモバイルゲームの成熟化という危機に直面し、新規事業の探索を加速させた。ヘルスケア、自動車、AIと矢継ぎ早に展開する中で、2014年から「キュレーションメディア」事業が始動する。Welq(医療)、MERY(ファッション)、iemo(インテリア)など複数のバーティカルメディアを擁し、低コストで大量のコンテンツを生成してSEOトラフィックを集め、広告収益で稼ぐモデルだ。
当時のコンテンツマーケティング業界では、このモデルが「勝ちパターン」として広まっていた。DeNAの経営陣にとって、それは証明済みの方程式に見えた。
何が起きたか
Welqの問題は、2016年11月末にバズフィード・ジャパンのJin氏によるブログ記事で初めて広く知られることになった。記事が指摘したのは以下の点だ。Welqの記事は「肩こり 霊」といったタイトルで、医学的根拠のない情報を含んでいる。記事の内容は他サイトからの無断転載・改変が多い。それにもかかわらず、Googleの検索結果で「肩こり 原因」「うつ病 治し方」といった医療クエリの上位を占有している。
問題のスケールはすぐに明らかになった。Welqには約11万本の記事があり、その多数がクラウドソーシングで発注されたものだった。ライターへの単価は文字当たり0.5円〜1円という水準で、2,000字の記事が1,000円以下になる計算だ。品質チェックの工程は事実上存在せず、「とにかく公開して流入を稼ぐ」というKPIが現場を支配していた。
医療情報サイトとして、Welqには深刻な問題のある記事が多数含まれていた。がんの治療法に関する誤情報、自殺念慮を持つ読者に届く可能性のある記事、医薬品の用量に関する不正確な記述——これらが何の査読もなく、Googleのアルゴリズムの高評価を受けて上位表示されていた。
DeNAは当初、問題の存在を認めながらも「修正対応中」という姿勢を取っていた。しかし批判の炎上は止まらず、11月29日に守安功社長が記者会見で謝罪。Welqを含む10のキュレーションメディアを全て非公開化することを発表した。翌年3月には特別委員会による調査報告書が公表され、「組織的な問題」があったと認定された。
この事件はDeNA単独の問題に留まらなかった。サイバーエージェント、リクルート、その他多数の企業が同様のコンテンツファームモデルを運営していることが次々と明らかになり、業界全体が自粛と見直しに動いた。Googleも日本語コンテンツの品質アルゴリズムを大幅に修正し、コンテンツマーケティング産業全体に打撃を与えた。
失敗の本質的原因
市場・競合環境
2014年〜2016年の日本語コンテンツマーケティング市場は、Googleのアルゴリズムがまだ「内容の正確性」より「量と被リンク数」を重視していた過渡期だった。この「アルゴリズムの抜け穴」を活用したコンテンツファームモデルは、競合他社も同様に展開しており、先手を打って大量生産できた企業が検索トラフィックを独占できた。DeNAはその「ゲーム」を合理的にプレーしたに過ぎない——という解釈が社内では共有されていた可能性がある。
しかし「競合もやっている」という事実は、倫理的問題の免罪符にならない。特に医療情報という、誤りが人命に関わる領域においては。
経営判断と意思決定
Welqの運営責任者には「月間PVを数億に伸ばす」という明確な目標が与えられていたと伝えられる。その目標達成のための手段として、コンテンツ品質の低下は「トレードオフ」ではなく「意識されない選択」として進行した。成長指標の設計が、組織行動を決定したのだ。
「医療情報サイト」というカテゴリを選んでおきながら、医療監修者を置かず、品質管理フローを持たなかった意思決定は、明らかな欠如だ。意識的なコストカットだったのか、リスクの過小評価だったのか、それとも「まず立ち上げて後で整備する」という発想だったのか。いずれにせよ、結果として社会的責任が欠落していた。
財務・資金構造
コンテンツファームモデルの財務的魅力は明快だった。文字単価1円以下のライター費用と広告CPMの差額が利益になる。初期投資が少なく、スケールが効きやすい。この収益構造が、品質よりも量を優先する組織インセンティブを構造化した。「品質に投資する」ことは、このビジネスモデルにおいては短期的なコスト増でしかなく、経営指標には現れない「将来的なリスク」に過ぎなかった。
組織と文化
「スピードと成長」を至上価値とするDeNAのカルチャーは、モバイルゲーム時代に有効に機能した。しかしコンテンツメディアに適用したとき、スピードへの執着は「品質チェックという摩擦」を排除する方向に作用した。
さらに深刻なのは、問題を認識していた社員が声を上げられる環境がなかったことだ。後の調査報告書では、現場の担当者レベルでは「これは問題ではないか」という認識を持つ人間がいたことが示唆されている。しかしKPI至上主義の組織風土の中で、その声は上にエスカレートしなかった。
外部環境・規制
2016年当時、インターネット上の医療情報に関する規制は事実上存在しなかった。薬機法は医薬品・医療機器の広告を規制するが、一般的な医療情報記事のコンテンツを直接規制する法律はなく、企業の自律的な品質管理に委ねられていた。規制の空白が倫理の空白を許容した。
経営者の意思決定を再構築する
守安功社長の立場に立ってみる。2014年、モバイルゲームの成熟化というDeNAへの最大の脅威に直面していた守安は、「第二の柱」を探していた。
キュレーションメディアという事業は、当時の文脈では合理的に映った。技術的には難しくない。マーケット規模は大きい。競合はすでに成功しているモデルを示している。DeNAのプラットフォーム技術とデータ分析能力で差別化できる。「どのカテゴリに入るか」という議論の中で、「医療」は「高単価広告が取れる市場」として魅力的に見えただろう。
「医療情報には専門的な品質管理が必要だ」という論点は、経営会議のレベルで議論されたのか。おそらく議論されたとしても、「競合もやっている」「まず流入を取ってから品質を上げる」「ユーザーは情報の正確性よりアクセスしやすさを求めている」という反論によって、その論点は後退したのではないか。
守安は誠実な経営者だったと、多くの関係者は証言する。彼は確信犯的に「誤った医療情報を流布しよう」と考えたのではない。彼のシステムの中では、問題は「見えていなかった」。見えるようにする仕組みが存在せず、見えなくても「問題ない」と判断できる根拠として「競合の存在」があった。
これは守安個人の道徳的失敗というより、「数値で可視化されないリスクを組織がどう扱うか」という構造的失敗だ。PVとCVRは見えるが、「誤情報を読んだ患者が受けた害」は見えない。見えないものは管理されない。
海外類似事例との比較
Demand Media(米国) は、まさに同種のコンテンツファームモデルを大規模に展開し、2011年にIPOを果たした。しかし2012年のGoogleパンダアップデートにより検索順位が大幅下落し、事業モデルが崩壊した。Welq問題との違いは、Demand Mediaが直接的な「人命への危害」というフェーズには至らなかった点だ。Welqの特殊性は、医療というドメインを選択したことにある。
About.com(米国) はかつてコンテンツの量産モデルで医療情報を提供し、複数回にわたって批判を受けた後、Medical Review Boardという専門家監修体制を構築した。これは「コンテンツ量産と品質管理の両立」が可能であることを示す先例として存在していたが、日本企業がそれを参照した形跡は見当たらない。
日本固有の文脈として、当時の日本の「メディアとしての自律的責任」という概念が、プラットフォームとメディアの中間的存在に対してまだ形成されていなかった点がある。「Googleが上位に出すということは品質が担保されている」という誤った信仰が、作り手・読み手双方に存在していた。
経営者・起業家へのインサイト
1. 指標の設計は価値観の設計である 「PVを最大化せよ」というKPIは、それ以外の価値(正確性、安全性、倫理性)を測定しないことを意味する。指標化されないものは組織の優先課題から外れる。何を測るかを決めることは、組織が何者であるかを決めることだ。
2. 「競合もやっている」は倫理的判断の根拠にならない 市場のデファクトスタンダードが倫理的に問題のある慣行である場合、それに従うことは「業界の罪に連座する」ことを意味する。特に医療・金融・法律など人の生活に直結する領域では、「競合もやっているから」という論理は経営判断の正当化として不十分だ。
3. 「後で品質を整備する」は往々にして機能しない 「まず流入を取って、収益が安定したら品質基準を引き上げる」という計画は、論理的に見えて実行されないことが多い。流入が増えると改修コストが増大し、既存の低品質コンテンツの削除・修正は事業損失に直結する。品質基準は最初に設計しなければならない。
4. 「見えないリスク」を可視化する仕組みを意図的に設計せよ 財務損失は自然に可視化されるが、顧客・社会への潜在的危害は可視化されない。「誰が何のために我々のコンテンツを使っているか」を定期的に調査し、想定外の使われ方が生じていないかを確認するプロセスが、リスク管理の基本だ。
5. 内部告発ではなく、内部で問題が上がる構造を作れ Welqの問題は外部記者によって暴露された。これは「組織内で問題を認識していた人間が声を上げられる環境がなかった」ことを意味する。心理的安全性は慈善事業ではなく、経営リスクを早期発見するための競争優位だ。
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