弔辞
TL;DR
- ATM管理担当の57歳社員が5日間で1億3500万円を窃盗──1日平均2700万円という異常なペースでの犯行
- 「二人制」の相互監視体制が形骸化──現金管理責任者への単独アクセス権限付与が致命的な欠陥に
- グループ会社への本社ガバナンス監督が分散──売上5500億円超の巨大グループの管理体制に穴
- 2021年にも愛知支社で5億円超の横領事件──過去の教訓が全社的に共有・対策されていなかった
- 警備業界は世界共通で内部犯行リスクを抱える──米国Loomis、Brink'sでも類似事件が頻発
企業概要と全盛期
綜合警備保障株式会社(現ALSOK株式会社)は、1965年7月、元警察官僚で東京オリンピック組織委員会事務局次長を務めた村井順によって設立された。創業時はわずか40人の社員でスタートしたこの会社は、60年後の2025年3月期には連結売上高5,516億円を誇る警備業界第2位の巨大企業へと成長を遂げた。
同社の成長軌跡は日本の近代化と軌を一にする。1970年の大阪万博、1972年の札幌冬季オリンピックという国家的イベントの警備を担当し、その実績が信頼の礎となった。売上高は1982年の430億円から2016年には4,133億円、そして2025年には5,500億円超へと一貫して右肩上がりの成長を続けてきた。
2026年3月期の業績予想は売上高5,980億円(前年同期比8.4%増)、営業利益485億円(同20.6%増)と、事件発覚後も好調な業績を維持している。2025年には大阪・関西万博の警備も担当し、創業の原点である「国家的イベントの守り手」としての役割を果たし続けている。
「ありがとうの心」を経営理念に掲げ、顧客の生命と財産を守るという使命のもと、ALSOKは日本社会のインフラとして不可欠な存在となった。しかし皮肉なことに、「守る側」であるがゆえの過信が、後に致命的な内部統制の欠陥を生むことになる。
何が起きたか
2020年3月:愛知支社での横領開始(前兆事件)
ALSOK警送愛知支社で、現金管理責任者を務める社員が横領を開始。この時点で既に組織的な監視体制の欠陥が存在していた。
2021年1月:愛知支社で現金不一致発覚
定期検査で現金の不一致が発覚し、当該社員を懲戒解雇。しかしこの事件の教訓が全社的に共有・対策されることはなかった。
2022年2月:愛知支社元社員逮捕
横領額2,900万円で逮捕されるも、被害総額は5億円以上に上ることが判明。ALSOKグループにおける内部犯行リスクが明らかになった重大な警告サインだった。
2025年7月:社名変更
綜合警備保障株式会社からALSOK株式会社に社名変更。新たなブランドイメージでの再出発を図る。
2025年12月26日:東京での窃盗開始
ALSOK常駐警備(東京)に勤務する大山剛(57歳)が、担当するATMから現金の窃盗を開始。年末の繁忙期を狙った犯行だった。
2025年12月30日:5日間で1億3500万円を窃取完了
わずか5日間で1億3500万円、1日平均約2700万円という異常なペースで現金を持ち出した。年末年始の監視体制の緩みが犯行を可能にした。
2026年1月:抜き打ち検査で発覚
現金不足が発覚し、防犯カメラ映像を確認したところ犯行が明らかに。大山容疑者は「病気」を理由に欠勤し、そのまま行方不明となった。
2026年5月10日:京都で逮捕
約4ヶ月の逃亡の末、京都府内のホテルで身柄を確保。「人生がどうでもよくなった」「風俗、競馬、ブランド品に使った」と供述。
2026年5月11日:ALSOK再発防止策表明
警視庁築地署が窃盗容疑で正式発表。ALSOK側はグループ内部管理体制の改善強化とコンプライアンス教育の再徹底を表明した。
失敗の本質的原因
市場・競合環境
キャッシュレス化が進む中でも、日本社会におけるATM現金需要は依然として高い。特に年末年始は現金流通量が増加し、ATM1台あたりの保管現金も増える。警備会社は「守る側」として社会的信頼を得ているがゆえに、外部からの監視の目が緩くなりがちである。この「信頼されている」という立場そのものが、逆に内部犯行のリスクを高める構造的な問題を孕んでいた。
経営判断と意思決定
最も致命的だったのは、ATM管理責任者に単独での現金アクセス権限を付与していた点である。本来、現金管理業務は「二人制」が原則とされているが、人員効率やコスト削減の観点から、この原則が形骸化していた。また、グループ会社であるALSOK常駐警備東京に対する本社のガバナンス監督が不十分であり、子会社の現場における統制が本社から見えにくい状態にあった。
財務・資金構造
本事件においては、直接的な財務要因は存在しない。犯行動機は完全に個人的なもの(風俗、競馬、高級ブランド品購入)であり、企業の財務状態とは無関係だった。むしろ業績好調な企業であるからこそ、大量の現金を扱う機会が多く、犯行の「機会」が豊富に存在していたとも言える。
組織と文化
「守る側」への過度な信頼に依存した組織文化が根底にあった。警備会社の社員は厳格な身元調査を経て採用され、高い倫理観を持つことが前提とされている。しかし人間は変わりうる存在である。容疑者の「人生がどうでもよくなった」という供述は、長年勤めた57歳の社員が何らかの精神的危機に陥っていたことを示唆する。組織として社員の変化を察知し、リスクを軽減する仕組みが欠如していた。
外部環境・規制
コロナ禍以降、労働者の精神的ストレスは全般的に増加している。特に中高年層の「バーンアウト」や「人生への虚無感」は社会問題化しつつある。警備業界は規制産業であり、許認可事業として一定の監督を受けているが、個別企業の内部統制までは規制の対象とならない。内部犯行防止は各企業の自主的な取り組みに委ねられている現状がある。
経営者の意思決定を再構築する
村井豪グループCEOの立場に立って、この危機を再考してみたい。
創業者である祖父・村井順が60年前に掲げた「ありがとうの心」という理念は、警備業の本質──顧客の生命と財産を守り、感謝される仕事──を端的に表現している。この理念のもと、ALSOKは日本社会のインフラとして成長し、5500億円超の売上を誇る企業グループへと発展した。
しかし成長には必ず「スケールの罠」が伴う。40人でスタートした会社が数万人規模になる過程で、創業者の目が届く範囲は相対的に縮小する。グループ会社が増え、現場が分散すればするほど、本社からの統制は難しくなる。2021年の愛知支社事件は、まさにこの問題を警告していた。
経営者として難しいのは、「信頼」と「監視」のバランスである。警備会社の競争力の源泉は、社員一人ひとりの高い倫理観と使命感である。過度な監視は社員のモチベーションを削ぎ、「信頼されていない」という不満を生む。一方で、監視を緩めれば今回のような事態を招く。
愛知支社事件の後、なぜ全社的な統制強化が行われなかったのか。おそらくは「例外的な不正社員による個別事案」として処理され、組織構造そのものの見直しには至らなかったのだろう。これは多くの企業で見られるパターンである──問題を「人」の問題として片付け、「仕組み」の問題として捉えない。
村井CEOにとって、今回の事件は創業家としての信頼を根底から揺るがすものだったはずだ。しかし同時に、これは組織を根本から作り直す機会でもある。「守る側だから信頼される」という前提を疑い、「守る側だからこそ厳しく監視される」という新たな原則を打ち立てる。それがALSOKの次なる60年を支える基盤となるだろう。
海外類似事例との比較
内部犯行は警備業界に共通するグローバルな課題である。
米国Loomis社(2022-2023年) では、ATM技術者のJustin Eskridgeが22万ドル以上を横領した。PNC銀行のATMサービス中に現金を着服しており、同僚の目が届かない単独作業時に犯行を重ねた。ALSOKの事例と同様、「単独アクセス」が犯行を可能にした構造的要因である。
米国Brink's社(2024-2025年) では、元従業員のIsaiah Warrenが装甲車強盗により約70万ドルの被害を出した。内部情報を悪用した犯行で、171ヶ月(約14年)の実刑判決を受けている。内部者による情報優位性の悪用という点で、警備業界特有のリスクを示している。
米国Loomis社ラスベガス(1993年) の事例はさらに劇的である。ドライバーのHeather Tallchiefが約300万ドルを横領し、12年間も逃亡を続けた。単独勤務時に装甲車ごと持ち去るという大胆な手口だった。
日本のアサヒセキュリティ(2019年) では、集計担当マネージャーが3億6000万円を金庫室から段ボール箱で持ち出すという事件が発生している。
これらの事例に共通するのは、①単独での現金アクセス機会、②長期勤務による組織内での信頼獲得、③監視体制の形骸化、という3要素である。警備業界は「信頼」を売る産業であるがゆえに、社員を信頼しすぎるという逆説的な脆弱性を抱えている。グローバルに見ても、この構造的課題は未解決のままである。
経営者・起業家へのインサイト
1. 「二重の皮肉」を自覚せよ 警備会社は「守る側」として信頼されるがゆえに、外部からの監視が緩くなる。そして社員を「守る側」として信頼するがゆえに、内部の監視も緩くなる。信頼産業であればあるほど、信頼に依存しない仕組みが必要という逆説を理解すべきである。
2. 「例外」として処理するな 2021年の愛知支社事件を「個別の不正社員による例外事案」として処理したことが、2025年の東京事件を招いた。不正は「人」の問題ではなく「仕組み」の問題として捉え直す習慣を持て。一度起きた不正は、同じ構造の下で必ず再発する。
3. 子会社ガバナンスを「コスト」ではなく「保険」と考えよ グループ会社への監督強化は、短期的にはコストに見える。しかし1億3500万円の損失と、「警備会社社員が窃盗」というレピュテーション毀損のコストと比較すれば、監督コストは安い「保険」である。
4. 「人生がどうでもよくなった」社員を見逃すな 57歳の長期勤務社員が突然不正に走った背景には、何らかの精神的危機があった。組織として社員の変化を察知する仕組み──定期的な面談、ストレスチェック、キャリア相談──は不正防止策としても機能する。
5. 「年末年始の緩み」は計算に入れよ 犯行は12月26日から30日の5日間に集中した。年末年始は人員が手薄になり、監視の目が緩む。不正を企む者はこの「緩み」を狙う。繁忙期・閑散期こそ統制を強化すべきタイミングである。
あなたが経営者だったら?
Q1: 「信頼」と「監視」のバランスをどう設計するか? 社員を信頼することは組織の活力を生むが、信頼に依存しすぎれば不正を招く。あなたの組織では、この二律背反をどう解決するか?「信頼しているが、検証もする(Trust but verify)」を具体的にどう実装するか?
Q2: 過去の不正事件から、どこまで一般化して対策を打つか? 2021年の愛知支社事件の後、全社的な統制強化を行っていれば、2025年の東京事件は防げたかもしれない。しかし「例外」を「一般」として扱いすぎれば、組織は硬直化する。あなたならどこに線を引くか?
Q3: 「人生がどうでもよくなった」社員をどう救い、どう管理するか? 長期勤務の57歳社員が精神的危機に陥っていたことに、組織は気づけなかった。社員のメンタルヘルスは「福利厚生」の問題であると同時に「リスク管理」の問題でもある。あなたの組織では、この二つの観点をどう統合しているか?