弔辞
TL;DR
- 山形大学発の自然言語処理AIスタートアップが、クッキーレス広告という「正しい未来」を見据えながらも設立9年目で破産
- 大手VCから約4.74億円を調達、売上15億円まで成長するも、2019年の不適切会計発覚が転換点に
- GoogleやMetaなど大手プラットフォーマーの独自対策により、技術的差別化が困難に
- 「市場のタイミングを読む」ことと「そのタイミングまで生き残る」ことは全く別の能力
- 研究開発型スタートアップの商業化フェーズ移行における組織設計の難しさを浮き彫りにした事例
企業概要と全盛期
株式会社スリーアイズ(Three Eyes Inc.)は、山形大学発のスタートアップとして2015年4月に山形県米沢市で設立された。代表取締役CEOの牧之内隆大氏が率い、自然言語処理AI技術を核としたアドテク企業として注目を集めた。
同社の主力サービスは「CANDY」と呼ばれる自然言語処理AIによる広告配信サービスだった。これは、Cookieに依存しない文脈理解型の広告配信を実現するもので、GDPR施行(2018年)やAppleのITP導入など、プライバシー規制強化の波を先読みした先駆的なサービスだった。
全盛期の数字を見ると、その成長性は確かに投資家を惹きつけるに足るものだった。
資金調達実績:
- 合計調達額:約4.74億円
- 資本金:約3億8985万円(破産時)
- 出資元:マイナビ、VOYAGE VENTURES、ディノス・セシール、みずほキャピタル、三菱UFJキャピタル等
事業実績:
- 2023年2月期売上高:約15億円
- 2023年IPO目標を公言
投資家の顔ぶれは、日本のVC業界でも一流と呼べるラインナップだった。メガバンク系VC2社(みずほキャピタル、三菱UFJキャピタル)に加え、事業シナジーを期待できるマイナビやディノス・セシールからの出資は、同社の技術力と事業ポテンシャルへの高い評価を示していた。
地方発スタートアップとしても異例の存在だった。山形大学という地方国立大学から生まれた技術が、東京のVC市場で評価され、上場を目指すまでに成長したケースは稀有である。「地方創生×ディープテック」の成功事例として、各種メディアでも取り上げられていた。
何が起きたか
スリーアイズの9年間を時系列で追うと、その転換点が明確に浮かび上がる。
研究開発フェーズ(2011年〜2017年)
2011年、山形大学での研究をベースに創業プロジェクトが始動。自然言語処理技術の商業化可能性を模索する時期だった。2015年4月に株式会社として正式設立。この時期は技術の確立と最初の顧客獲得に注力していた。
商業化加速フェーズ(2018年〜2019年前半)
2018年9月:第三者割当増資により1億円超の資金調達を実施。アドテク領域での本格展開を開始した。GDPRの施行(2018年5月)を追い風に、クッキーレス広告の市場機会が注目され始めた時期と重なる。
転換点(2019年)
2019年2月:不適切決算が発覚。詳細は公開されていないが、この時点で会計処理に問題があったことが判明し、修正を余儀なくされた。
この出来事の重大性は、その後の資金調達継続という表面的な事実によって覆い隠されてしまった。VCは出資を続けたが、信用の毀損は確実に起きていた。
2019年9月:マイナビ、VOYAGE VENTURESより資金調達を実施。不適切会計発覚後わずか7ヶ月で追加調達に成功したことは、技術への期待がいかに高かったかを示している。
最後の成長投資(2020年〜2021年)
2020年1月:ディノス・セシールより第三者割当増資による資金調達。EC企業との連携により、広告配信の実需を確保する狙いがあった。
2021年10月:みずほキャピタル、三菱UFJキャピタル等より追加資金調達。メガバンク系VCからの出資は、2023年IPOに向けた「最後のピース」と見られた。
破綻(2023年〜2024年)
2023年8月23日:東京地方裁判所より破産手続き開始決定。負債総額約6.5億円。売上高15億円の企業が、負債6.5億円で破産したという事実は、キャッシュフローの急速な悪化を示唆している。
2024年1月29日:法人解散。山形大学発スタートアップの挑戦は、9年で幕を閉じた。
失敗の本質的原因
市場・競合環境
スリーアイズが直面した最大の皮肉は、「正しい未来を見ていた」にもかかわらず、その未来を収穫できなかったことだ。
Cookie規制の強化は、同社の読み通りに進んだ。GDPR、CCPA、AppleのITP、そしてGoogleによるサードパーティCookie廃止の発表。市場環境は同社に有利な方向に動いていた。
しかし、この「追い風」は同時に大手プラットフォーマーの対応を加速させた。GoogleやMetaは自社の広告エコシステム内で独自のクッキーレス対策を進め、広告主にとって「わざわざ第三者のソリューションを使う理由」を奪っていった。
スタートアップが「市場を創る」ことに成功しても、その市場が大きくなればなるほど、巨人が参入してくる。これは避けられない市場原理だった。
経営判断と意思決定
2019年の不適切会計発覚は、単なる会計処理の問題ではなく、経営判断の歪みを示すシグナルだった。
スタートアップが成長プレッシャーの中で「数字を作る」誘惑に駆られることは珍しくない。VCからの期待、IPOというマイルストーン、競合との競争。これらが複合的に作用し、「現実」と「報告」の間にギャップが生じる。
問題は、この発覚後も2023年IPO目標を維持し、成長投資を継続したことだ。信用回復には時間がかかる。その時間を稼ぐための財務的余裕が、同社にはなかった。
財務・資金構造
約4.74億円の調達額は、一見すると十分な軍資金に見える。しかし、内訳を見ると問題が浮かび上がる。
- 2018年:1億円超
- 2019年:マイナビ、VOYAGE VENTURESから調達(金額非公開)
- 2020年:ディノス・セシールから調達(金額非公開)
- 2021年:みずほキャピタル、三菱UFJキャピタル等から調達(金額非公開)
複数回に分けた調達は、「次のマイルストーンを達成したら次の調達」というVC的なディシプリンに沿ったものだが、同時に「失敗したら次がない」というプレッシャーも意味する。
売上15億円に対して負債6.5億円という破産時の状況は、売上成長があっても利益が出ていなかった可能性を示唆する。開発費の増加、営業強化のための人件費、これらが売上成長を上回るペースで膨張していたと推測される。
組織と文化
山形大学発という出自は、技術的な強みであると同時に、組織的な課題でもあった。
研究開発型スタートアップが商業化フェーズに移行する際、必要なのは「売れるものを作る」から「作ったものを売る」への転換だ。この転換には、営業組織の構築、顧客成功の仕組み化、価格戦略の精緻化など、研究者文化とは異質な能力が求められる。
同社の場合、「開発負担増加の中での営業強化・配信量拡大への注力」という記録があるが、これは「技術で解決しようとする」研究者的アプローチと「顧客接点で解決しようとする」営業的アプローチの両方に投資しようとして、どちらも中途半端になった可能性を示唆している。
外部環境・規制
Cookie規制強化という「追い風」は、期待されたほどの恩恵をもたらさなかった。その理由は複合的だ。
第一に、規制の実施が延期され続けた。Googleのサードパーティ Cookie廃止は何度も延期され、広告主の「今すぐ対応しなければ」という切迫感が薄れた。
第二に、大手プラットフォーマーが自社エコシステム内で対応策を提供したため、第三者ソリューションへの需要が限定された。
第三に、広告業界全体が「待ち」の姿勢になり、新技術への投資が抑制された。
経営者の意思決定を再構築する
牧之内CEO の立場に立って、この9年間を振り返ってみる。
2011年に研究を始めた時点で、Cookie依存の広告技術が限界を迎えることを見抜いていた。これは先見の明だった。GDPR施行の7年前、AppleのITP導入の6年前に、その未来を予測し、技術開発を始めていた。
2015年の会社設立時、山形という地方都市でスタートアップを立ち上げることの困難さは想像に難くない。東京のVC との距離、採用の難しさ、顧客との物理的距離。それでも技術への自信と、地方発イノベーションへの信念があったはずだ。
2018年、GDPRの施行とともに市場の風向きが変わった。「やはり自分たちは正しかった」という確信と、「今こそ攻めるべき」という判断は、合理的なものだった。1億円超の調達を実現し、商業化を加速させた。
2019年の不適切会計発覚。これがどのような経緯で起きたのか、詳細は分からない。しかし、成長プレッシャーの中で、「もう少しだけ数字を良く見せれば、次の調達ができる」という誘惑があったとしても、不思議ではない。
問題発覚後も、VCは出資を続けてくれた。技術への期待は残っていた。「信用を取り戻し、IPOを実現すれば、すべてが報われる」。この考えは、当事者としては自然なものだったろう。
しかし、2021年以降、状況は急速に悪化した。GoogleやMetaの対応が本格化し、差別化の余地が狭まった。開発費は増え続け、売上成長は鈍化した。不適切会計の記憶がある中で、追加調達の交渉は難航したはずだ。
最終的に破産を選択せざるを得なかった時、牧之内CEOは何を思っただろうか。技術は正しかった。市場の読みも正しかった。しかし、「正しい」ことと「勝つ」ことは、同じではなかった。
この事例が示すのは、スタートアップ経営における「生存」の重要性だ。どれだけ優れた技術を持ち、どれだけ正確に未来を予測しても、その未来が来る前に資金が尽きれば、すべては無に帰す。
海外類似事例との比較
スリーアイズの事例を、海外のAIスタートアップ失敗事例と比較すると、興味深いパターンが浮かび上がる。
Builder.ai(英国):AIウォッシングの極端なケース
2025年5月に破産申請した Builder.ai は、Microsoft やカタール投資庁から4億4500万ドル(約670億円)を調達し、企業価値15億ドルのユニコーン企業だった。しかし、「AI自動化」を謳いながら、実際には700人のインド人エンジニアが手動でコーディングしていたことが発覚。売上も300%水増しされていた。
スリーアイズとBuilder.ai の決定的な違いは、技術の「本物度」だ。スリーアイズは実際に自然言語処理AI技術を持っていた。山形大学での研究に裏打ちされた、正真正銘の技術だった。Builder.ai は技術そのものが虚構だった。
しかし、結果は同じ「破産」だった。これが示すのは、技術の有無よりも、「収益化能力」と「資金管理」がスタートアップの生死を分けるという冷酷な現実だ。
欧州AIスタートアップの40%がAI技術を誇張
ロンドン本拠のVC、MMC の調査によると、AI企業を名乗る2830社のうち40%が実際のAI技術を持たない誇大宣伝企業だという。
この文脈で見ると、スリーアイズは「本物のAI技術を持っていた」という点で、むしろ少数派だった。にもかかわらず失敗したということは、技術の「本物度」だけでは生き残れない市場環境を示している。
投資家にとっての教訓は明確だ。AI技術の有無を評価するだけでなく、その技術が「防御可能な堀(moat)」になりうるかを見極める必要がある。スリーアイズの場合、技術は本物だったが、大手プラットフォーマーが本気を出せば追いつかれる程度の差しかなかった。
経営者・起業家へのインサイト
1. 「正しい未来」を見ることと「その未来まで生き残る」ことは別の能力
スリーアイズはクッキーレス広告の未来を7年前に予測していた。しかし、その未来が到来する前に資金が尽きた。未来を予測する能力と、その未来が来るまでキャッシュを持たせる能力は、全く異なるスキルセットだ。
2. 「追い風」は競合も加速させる
市場環境が自社に有利に変化することは、必ずしも良いニュースではない。その変化が大きければ大きいほど、大手プレイヤーの参入を招く。追い風の中でこそ、「自社だけが持つ防御壁」の構築に集中すべきだ。
3. 不適切会計からの信用回復は、想像以上に時間がかかる
2019年の発覚後もVCは出資を続けたが、その「表面上の継続」と「本当の信用回復」は別物だった。危機時に必要な追加調達の交渉力は、確実に毀損されていた。一度失った信用を取り戻すには、問題解決後も数年単位の時間が必要だ。
4. 研究開発型スタートアップの商業化には「翻訳者」が必要
技術の価値を顧客の言葉に翻訳し、営業プロセスに落とし込める人材が不可欠だ。創業者がこの役割を担えない場合、早期に「商業化のプロ」を経営チームに招く必要がある。
5. 地方発スタートアップの「距離のコスト」を過小評価しない
東京のVC、顧客、人材市場との物理的距離は、見えないコストとして蓄積する。リモートワークの普及でこの問題は軽減されたが、完全に解消されたわけではない。
あなたが経営者だったら?
問い1:2019年の不適切会計発覚後、どう行動しますか?
VCはまだ出資を続けてくれている。技術への期待も残っている。しかし、信用は確実に傷ついた。ここで「2023年IPO目標を維持して攻め続ける」か、「目標を2025年に延期して信用回復と収益基盤強化に集中する」か。あなたならどちらを選びますか?後者を選んだ場合、チームのモチベーションと投資家の期待をどう管理しますか?
問い2:大手プラットフォーマーの参入が見えた時点で、戦略をどう転換しますか?
2020年頃、GoogleやMetaが本格的にクッキーレス対策を進め始めた。この時点で、「正面から競争を続ける」「ニッチに特化する」「技術を売却してM&Aを目指す」など複数の選択肢があった。約4億円の調達済み資金と15億円の売上がある状況で、あなたならどの道を選びますか?
問い3:山形という立地を、どう活かしますか?
地方発スタートアップというポジションは、コストにもなりうるし、差別化要因にもなりうる。採用、顧客アクセス、投資家との関係において、「東京に移転する」「山形に留まり、その強みを活かす」「ハイブリッド体制を構築する」のいずれを選びますか?それぞれの選択がもたらす財務的・組織的インパクトをどう評価しますか?